ボン・ディーア!
世界に感染症が蔓延。約2か月間の非常事態宣言で、感染拡大を最小限に留めたポルトガル。現在は、大打撃を受けた経済を取り戻そうと、様々な試みがされているようです。
過去に観光業や外国資本で経済危機を乗り切ってきたポルトガルにとっては、国の門を開くことが経済回復には必須。しかしながら、いろんなものを犠牲に耐えてきた2か月間を棒に振る危険性も否定できず、リスボン地区では、今現在も感染者の増加率がそれほど低下していません。
ポルトガルは感染爆発が起きなかった”安全”な国として認識されているのでしょうか。外国人観光客はすぐに戻ってくるのでしょうか。ポルトガル経済は持ち堪えられるのでしょうか。ポルトガルの人たちは何を望んでいるのでしょうか。
もちろん、立場によって意見は様々でしょう。実際、自分たちがどう行動すべきなのかも迷うところです。感染を広げないように行動を自粛するべきか、積極的に動いて少しでも経済を回すべきなのか・・・正直、分かりません。
”おじさんの店”がなくなるなんて・・・
どの国もパンデミックにより、感染せずとも多大なる影響を受けていることでしょう。
リスボンにも静かに廃業したレストランがあります。私たち夫婦の大切な思い出の場所。ポルトガル料理を知り、ポルトガル語を話し、ポルトガル文化に触れ、ポルトガル人の温かさをもらった場所。
私の誕生日も、クリスマス前も、新年も、バレンタインも、アメリカから友達が来た時も、食事を楽しんだ場所です。
私たちは敬意と愛情を持って”おじさんの店”と呼んでいました。「今日、おじさんのとこ行く?」ってな感じで・・・。
そのうちひょっこりいつものように営業してるんじゃないかという希望がありました。でも、今日行ってみると看板が取り外され、中の物も無くなっていました。
認めたくない現実ですが、記憶が鮮明なうちに書き残しておこうと思います。
対照的なルイシュとアントニオ
”おじさんの店”は、二人のセニョールがやっていました。どちらがオーナーなのか、二人とも”雇われ”なのかはわからずじまいです。
リスボンに来てすぐに滞在していたエアビーから徒歩1分。買い物やアパート探しへ出かける時はいつもこの店の前を通りました。紙製のテーブルクロスに書かれた日替わり定食(Menu do Dia)に興味津々でした。
はじめて”出逢った”のは、ルイシュ(Luís)。意を決して、入店しようと店頭のメニューを眺めていると、その横でドアにかかっていた「営業中(Aberto)」の札を「閉店(Fechado)」に無言でバサっとひっくり返したのがルイシュでした。時計を見ると、すでに午後3時。ポルトガルでは、通常ランチタイムは3時頃まで、夜7時か8時のディナータイムまでは店を閉めるのが普通です。当時は、自分たちの生活のリズムもポルトガルでの時間の感覚もつかめずにいました。
一方、アントニオ(António)は、暇さえあれば人懐っこい笑顔で店頭に立っていました。私たちも通りかかると自然と手を振るようになり、アントニオも手を振り返してくれました。
店に通うようになってからも、ルイシュは基本ニヒルで、てきぱきと働き、必要以上喋らない。逆にアントニオは、笑顔で握手を求めてきて、私たちがちゃんと楽しんでいるかテーブルに見にきてくれたり、たどたどしいポルトガル語に付き合ってくれました。
後にアントニオはポルト出身だとわかり、その親しみやすい性格に納得・・・。バレンタインの時は、夫に「奥さんに指輪買ってあげなきゃ!」と言ってくれたり・・・。懐かしいです。
ルイシュにシンパシーを感じる夫
一方のルイシュは、きっとリスボン出身に違いない・・・と思ってます。リスボンとポルトの人の持ち味は、関東人と関西人くらい違うそうなので・・・。
常にご機嫌斜めなんじゃないかと思わせる風貌のルイシュですが、会計を済ませお礼を言い立ち去る時は、「オブリガード、チャオ」とウインクしてくれました。私はそのツンデレぶりに、クラクラ・・・。
夫もまた、一筋縄ではいかないルイシュにシンパシーを感じていたようです。自分もシャイで不器用、こだわりが強く、自分の感情に正直なタイプですからね・・・(笑)。
ある時、お会計16ユーロに50ユーロ札を出した夫。「1ユーロコインはないのか?」とルイシュ。あいにく持っておらず・・・。すると何か言いながら、35ユーロのお釣りを渡してきました。「???」の私たちに、英語で「You give me 1 euro next time」。私たち常連認定されたのねと小躍りした瞬間でした。
この「1ユーロのツケ」も1回に限ったことではありません。最初の時こそ、すぐに買い物で1ユーロコインをゲットして、その日のうちに払いに行きましたが、2回目は、だいぶ時間を開けてしまいました。
「覚えてないんじゃない」という私に、夫は「ルイシュは絶対覚えてる。そして、俺らがどういう人間か見てる・・・」って。ま、わからなくもないけど。
もちろん次に行った時、1ユーロのツケを返しました。「あいつ、覚えてたくせに自分からは言ってこなかった」と夫。何か近いものを感じたんでしょうね。
最後の晩餐は友人たちと
最後に訪れたのは、アメリカから友人たちが遊びに来てくれた2020年2月。非常事態宣言が出される1か月ほど前です。観光地ではなく、ザ・ポルトガルの食堂を知って欲しかった・・・。というか自信を持って連れて行けるのがここだったんです。
なんてことはない、3種のハウスワイン(Vinho Tinto, Branco, Espumante)、チーズ(Quijo)やオリーブ(Azeitonas)、ステーキ(Bife)と焼き魚(Peixe Grelhado)、タコライス(Arroz de Polvo)をシェア、みんな喜んでくれました。
この時、客が私たちだけだったから、二人ともいろいろ話しました。
二人とも56歳。ランチで働いているサンドラはルイシュの奥さん。「若くてかわいい奥さんでラッキーね」と言うとまんざらでもない様子。
「いつもナイスにしてくれてありがとう」と言うと、「俺は違うだろ。アントニオはナイスだけど・・・」とルイシュ。自分のこと、ちゃんとわかってるんだ・・・と内心「ぷぷぷ」。
こんなことになるなら、記念写真でも撮っておけばよかったと後悔しています。
美味しかった思い出の写真
日替わり定食(Menu do Dia)、スープ、パン、オリーブ、ワイン、メインディッシュ、デザート、コーヒーが付いて、8ユーロって安すぎるでしょ!?
しかも全部美味しかったです。
”おじさんの店”の思い出(↓)